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2026年11月3日 火曜日
時間の長さは相対的である。成年後見の現場で見た景色。
先日、新たに後見人になった方と、一緒に銀行まで歩く機会があった。その方は一人暮らしで、認知症があり、毎週透析にも通っている。会話は普通にできるものの、前日に決めたことを翌日には忘れてしまうこともあり、ご本人自身も、自分がいろいろなことを忘れてしまうことに不安を感じている。
後見人になったことで、これまで本人が管理していた預金通帳を私が預かることになったが、日々の買い物などには現金が必要なので、しばらく生活できるだけのお金を手元に用意しておこうということになり、福祉関係者の方と一緒に銀行まで行くことになった。
銀行までは、普通に歩けば5分ほどの距離である。
ところが、ご本人の歩みはとてもゆっくりで、少し歩いては休み、また少し歩くという繰り返しになり、結局、銀行までは20分ほどかかった。そのときに私が感じたのは、単に移動に時間がかかったということではなく、時間そのものがいつもより伸びたような、不思議な感覚だった。
いつもなら何気なく通り過ぎている道なのに、歩く速度が変わるだけで、時間の流れ方も違って感じられ、その結果として、見えてくる景色まで違って見えた。
幼い子どもと一緒に歩くときにも、当然歩く速度は遅くなる。ただ、子どもの場合は歩幅が小さかったり、途中で興味のあるものを見つけて寄り道をしたりするために、大人のペースでは進まないという面がある。今回一緒に歩いた方は、きちんと銀行という目的地に向かって歩いている。ただ、身体の状態によって、その一歩一歩がとてもゆっくりなのである。
考えてみれば、私たちは普段、自分が見ている景色や、自分が感じている時間の流れを、ごく自然に「普通」のものとして受け止めている。しかし、同じ場所で生活していても、身体の状態や認知機能などが違えば、感じている時間も、見えている景色も、まったく違うのかもしれない。
もちろん、人はそれぞれ違うということは頭では分かっている。それでも、実際に自分とは違う速度で生きている人と同じ時間を過ごしてみると、その当たり前のことを、少し違う形で実感することができた。
私が司法書士になったころは成年後見制度はなかった。正確に早く業務をすることが専門性であり、日々の移動も最短ルートを辿っていた。成年後見業務と関わらなければ、5分の道を20分かけて歩くことは、おそらくなかっただろう。
違う人と同じ時間を過ごすことで、その人の世界を少しだけ知り、自分の中にも、それまでとは違う時間や景色が生まれる。そんな経験ができることも、後見人という仕事の一つの側面なのだと思う。
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