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2025年11月25日 火曜日

土地と安全保障──日本における防衛目的の土地利用をめぐって

最近、日本の土地利用と安全保障に関する議論が増えている。外国人が購入した土地が安全保障上の脅威になるのではないか、という声がある一方で、日本国内にはすでに防衛目的で土地を利用する制度が長く存在していることは、あまり一般には知られていない。

戦前の旧土地収用法は軍事利用のための土地収用を明確に認めており、陸軍や海軍の基地建設のため、多くの民有地が強制収用された。しかし戦後、現行の土地収用法が制定される際には軍事目的の条項が削除され、公共事業に限定された。条文上は防衛のための土地収用は対象外となり、ここで多くの人が「戦後の日本において軍事目的の収用はなくなった」と理解する。

しかし、その後の法解釈や特別法の制定によって、現実には防衛目的で土地が利用される仕組みが存在している。自衛隊基地の整備については、「自衛隊施設は公共の利益に資する」とする政府の解釈により土地収用法の適用が可能とされている。実務上は地主との任意交渉が基本であり、強制収用にまで至るケースは例外的とされるが、それでも制度として可能性が存在する。

米軍基地についてはより直接的で、駐留軍用地特措法に基づき、地主が契約更新を拒否しても、収用委員会による裁決により土地の使用継続が可能となる。沖縄では嘉手納基地やキャンプ・ハンセンなどでこの手続きが繰り返された歴史があり、「一坪反戦地主」のように、土地を細分化し、複数の共有者を設定することで抵抗を示す動きも見られた。

現在の自衛隊基地や米軍基地の多くは、元をたどると戦前の旧日本軍用地であり、戦前に収用された土地が戦後に引き継がれ、現在も防衛関連施設として使用されている例が少なくない。このように日本の土地と防衛利用は、戦前から戦後、そして現代までの連続性の中で捉える必要がある。

外国人による土地所有への懸念は理解できるが、日本国内ではすでに土地が防衛目的で利用される制度的枠組みが存在し、それは長らく運用されている。この点を見落とすと、「外国人土地所有だけが問題である」という誤解につながる。

よくある誤認として、「戦後の日本では軍事目的で土地は使われない」「地主が拒否すれば国は土地を使えない」「土地収用は国家権力の乱用である」といったものがあるが、実際には制度上、一定の条件の下で土地の強制使用や収用が可能であり、それは基地に限らず、道路・河川・鉄道・災害復旧等ほかの公共事業でも行われている。土地は個人の財産であると同時に、公共性と地政学的意味を持つ存在でもあり、所有権は絶対ではなく、公共の利益とのバランスの中で位置づけられている。

土地とは誰のものか。所有にはどこまでの権利があるのか。国家はどの範囲で土地に介入できるべきか。そして国民としてこの現実をどう理解するべきか。

国家の安全と個人の権利は、どちらか一方だけで完結するものではなく、それらは常に互いの存在を必要としている。その接点にこそ、私たちの社会の成熟が問われているのかもしれない。

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2025年11月21日 金曜日

国籍記載を義務化へ ―― 日本の不動産市場と経済安全保障の新しいかたち

東京都心の不動産価格は、長く住んできた人々ですら手が届きにくい水準まで上がっている。背景には、国内の需要だけでは説明できない大きな変化がある。海外からの投資マネーの流入が市場を押し上げ、それが日本人の生活実感とズレを生んでいる。この状況を受けて、政府は不動産登記に所有者の「国籍」を記載する制度の導入を本格的に検討し始めた。単なる事務手続きの変更ではなく、日本の不動産市場と経済安全保障の考え方が大きく転換しつつあることを示している。

■1 登記制度が抱えてきた“見えない所有者”という問題

これまでの登記制度では、所有者として記載されるのは「氏名」と「住所」だけだった。国籍は記載されず、国内に住民票を持つ外国人や、日本法人を通じて購入する外国資本も、日本人と区別がつかない仕組みだ。国交省はこれまで、住所が「外国にあるかどうか」だけを頼りに外国人の取得動向を推計してきた。しかし、これでは実態のごく一部しか見えてこない。

2025年上半期の調査では、新築マンションを取得した人のうち「住所が外国にある人」は3.0%だったとされる。ただし、この数字には日本に住み、普通に会社勤めをしている外国人や、外国資本のペーパーカンパニーが買った物件は含まれない。実際の外国人購入比率は、もっと高いはずだと言われている。

さらに、1年以内の短期転売が8.5%を占めたという結果もある。これは投機目的の資金が流れ込んでいるサインだ。本来「住むための場所」であるはずの住宅が、「短期間で売買して利益を得るための資産」へと変わりつつある。

■2 なぜ今“国籍情報”なのか:経済安全保障の観点

今回の政策の背景には、住宅価格の高騰だけでなく、日本全体の安全保障をどう守るかという、より大きな問題がある。近年、政府は「経済安全保障」という概念を広く捉えるようになった。

従来、重要施設の周辺だけが関心の対象だった。たとえば自衛隊基地や原子力発電所の近くの土地は、外国資本が取得すると安全保障上の懸念があるとされ、調査や規制の対象になってきた。しかし、現代の安全保障はそれだけでは守れないと考えられ始めている。

●都市部の住宅そのものが“国家の基盤”

日本では人口の多くが都市に密集して住んでいる。東京圏はその典型で、住宅を確保すること自体が「生活の安全保障」に直結する。外国資本による大量取得や、投機マネーによる価格高騰が続くと、国民が住む場所を確保できなくなる。それは軍事や外交の話とは別の意味で、「国としての安定性」を脅かすリスクにつながる。

安全保障を「国を守ること」と広く捉えるなら、人が安心して住める家が確保されない状況もまた、国家の弱体化を招くという発想だ。

●国際的には“生活基盤の保護”はすでに常識

世界を見れば、国籍によって不動産取得に制限を設ける国は少なくない。

  • シンガポール:外国人に高額の追加税(最大60%)

  • カナダ:一部地域で外国人の住宅購入自体を禁止

  • オーストラリア:外国人は購入前に政府の審査が必要

これらの制度は、国民の住宅確保を守るという意味で「経済安全保障」の一環として位置付けられている。日本の制度はむしろ異例で、これまでほぼ“完全に自由で、誰でも買える市場”だった。

今回の国籍記載義務化の動きは、日本が世界標準に近づく方向へ舵を切り始めたことを意味する。

■3 制度が変わると市場はどう動くか

法改正が進むまでには時間がある。この「空白期間」に市場では二つの動きが起こる可能性がある。

  1. 制度変更前に駆け込みで買う動き
     匿名性を失いたくない海外マネーが、制度が変わる前に購入を急ぐ可能性がある。

  2. 逆に買い控えが増える動き
     国籍が把握されることをリスクと見る層は、日本市場から一旦距離を置く可能性がある。

中長期的には、国籍データが蓄積されることで政策対応がしやすくなる。特定国の資金が特定地域に集中している場合は、そのエリアで追加課税を行う、といった選択肢も理論上は可能になる。

■4 “開放”と“防衛”のバランスをどう取るか

日本にとって難しい問題は、海外からの投資を拒むべきではない一方で、国内の人の生活を守る必要もあるという点だ。海外マネーが都市に流れることは、開発や経済成長の面ではプラスに働く。しかし、過度に集中すれば住宅価格を押し上げ、国民生活を圧迫することになる。

今回の政策検討は、こうした二つの価値の調整をどのように図るかという、深いテーマを含んでいる。

透明性を高めつつ、必要以上に外国人を排除しない。その中間点をどう探るかが、これからの日本の不動産政策の課題となるだろう。

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2025年11月3日 月曜日

信じる者は救われ…ないかもしれない ー広告社会をAIで透かして見た日常ー

4か月程前、自分の写真を見て、思わず「太ったな」とつぶやいた。年齢のせいというより、明らかに日々の食生活の問題だった。これを機に糖質制限を始めた。きっかけはYouTubeで見た北里大学の山田悟医師の話で、緩やかな糖質制限なら続けられるかもしれないと思った。結果、4か月間で4キロ痩せた。

それからというもの、街でもネットでも「糖質オフ」「低糖質」と書かれた商品が目に入るようになった。また僕のスマホは、健康系サプリの広告だらけになった。これらを毎日目にすると、段々と欲しくなってくるが「本当に効果があるんだろうか?」という疑念も当然沸く。そして「騙されたくない」という思いが強くなる。

ある時、GoogleのAI「Gemini」のdeep searchで調べてみようと思った。広告や動画をスクリーンショットに撮って、「この情報は正しい?」と聞いてみた。Geminiは、企業の情報や信頼性、商品の実態を淡々と返してくれた。中には、会社が実在しないものもあったし、口コミが不自然という回答もあった。AIを通すことで、ひと呼吸おいて、冷静に判断できるようになる。

こうした詐欺まがいの広告が、なぜSNSや検索サイトに流れ続けるのか。不思議に思うかもしれないが、少し考えれば仕組みは明白だ。GoogleもFacebookも広告収入で成り立っている。誰が何を検索し、どんな広告に反応し、何を買ったか。そのすべてが商品化されている。広告は止まらないし、フィルターもかからない。それがビジネスモデルだからだ。

仮にAIが本気でフィルターをかければ、詐欺的な広告はかなり減るはずだ。それでもなくならないのは、プラットフォーム側の都合だけではない。人間の欲が、そこにあるからだ。「楽して儲かりたい」「痩せたい」「子どもに少しでも良い教育を」と願う気持ちは、誰にでもある。その隙を突く情報は、絶えることがない。

それが悪いとも言い切れない。ただ、そういう構造の上に今の情報社会は成り立っている。信じるか、疑うかの二択ではなく、自分で確かめる。AIはその手段のひとつとして、とても便利な道具だと感じている。

職業柄、自分は契約書や登記に日々接している。「一見まともに見えるが、どこかおかしい」という直感を磨く場面は多い。その感覚は、ネットの世界でも案外役に立つ。

すべてを信じないことではなく、少し立ち止まって確かめること。その姿勢が、糖質制限にも、詐欺防止にも、共通している気がしている。

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2025年10月25日 土曜日

時代の波と事業の終焉:2025年ピーク後の日本の「事業の出口」

いま、日本の中小企業は「経営者の高齢化」という避けられない変化の波の中にある。
過去23年間で経営者の年齢のピークは47歳から69歳へと大きく上がり、小規模事業者では平均引退年齢がすでに70歳を超えている。
かつて主流だった親族内承継は4割以下にまで減少し、後継者不在という壁に直面する企業が増えている。

こうした背景のもと、休廃業や倒産といった「企業の退出」が2025年にピークを迎える可能性が高いとみられている。
その理由は、大きく二つの圧力が同時期に集中するためだ。

  1. 高齢化という“時間の壁”

まず、デモグラフィー(人口構造)の面での集中がある。
戦後の経済を支えた団塊の世代(1947~1949年生まれ)が、2025年に75歳という後期高齢者の節目を迎える。
この年齢は健康上のリスクも高まり、事業を「続けるか」「たたむか」を決断せざるを得ない時期にあたる。
まさに時間がもたらす“経営の終着点”がそこにある。

  1. 経済的なコスト圧力の重なり

次に、経済的な負担の増加だ。
最低賃金の引き上げは体力の小さい中小企業には大きな痛手となり、さらにコロナ禍で導入された金融支援策の元本返済も本格化している。
こうしたコスト圧力の中で、経営者は「損失をこれ以上広げない」ための合理的な判断として事業を終了させるケースが増えている。

実際、帝国データバンクの調査によると、2025年の休廃業・解散件数は年間7万件を超える見込みで、過去最多を大きく更新する勢いだ。
そのうち64.1%が、倒産ではなく手元資金に余裕があるうちに自ら幕を引く「資産超過型」の“余力ある廃業”とされている。
これは、経営者が冷静に状況を見極めていることの表れでもある。

ピーク後のゆくえ:高止まりする企業退出

では、2025年のピークを越えた後、企業退出の流れはどうなっていくのだろうか。
専門家の分析では、一時的に減少する可能性はあるものの、長期的には高い水準で続くとみられている。
その根本には、やはり高齢化という構造的な問題がある。

現在の社長の平均年齢は60.7歳と過去最高を更新し続けており、社長交代率は依然として低迷している。
経営者の若返りは進まず、事業承継が追いついていないのが現状だ。
さらに、団塊世代の引退後も、日本社会は高齢者人口のピークと労働力不足が重なる「2040年問題」へと向かう。
若い世代の人口減少により、後継者を見つけられず廃業を選ぶ企業は今後も多いと予想される。

また、最低賃金や社会保障費の上昇など、コストプッシュの圧力も続く。
結果として、収益が伸び悩む企業は事業継続の判断をさらに難しくしていくことになる。

今後に向けて:承継への転換が鍵

こうしたデータが示すのは、2025年の「退出ラッシュ」が一時的な出来事ではなく、
日本経済の構造が大きく変わる転換点であるということだ。
経営者たちは、事業を続けるよりも資産を守ることを選び、静かに幕を下ろしている。
それは必ずしも悲観すべきことではなく、「合理的な撤退」としての新しい時代の姿でもある。

とはいえ、この流れを少しでも前向きなものに変えるには、
「廃業」ではなく「承継」という選択肢を取りやすくする仕組みが欠かせない。
M&Aや第三者承継への抵抗感を減らし、「余力ある廃業」を「余力ある承継」へと転換する支援策が求められている。

特に、地域の産業や技術、職人のノウハウなど、時間をかけて築かれた財産が失われないようにすることが重要だ。
事業の連続性をどう守るか──その問いに、社会全体で向き合う時期が来ている。

 

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2025年10月13日 月曜日

公正証書のデジタル化が始動 —手続きが暮らしに寄り添う時代へ

これまで、公正証書を作るには平日昼間に公証役場へ行く必要があった。仕事の合間をぬって出かけ、印鑑証明を取りに役所へ寄る。実際にやってみると、なかなかの手間だ。「大事なことだから」と思いながらも、「しかし面倒だ」と感じてあきらめた人も少なくないだろう。私自身、依頼人とともに役場へ足を運ぶたびに「もう少し簡単になればいいのに」と感じてきた。

その不便を減らす仕組みが、ようやく動き出した。令和7年10月1日から、公正証書のデジタル化が始まった。

まず大きな変化は、申請がインターネットでできるようになったことだ。印鑑証明を取りに行かなくても、マイナンバーカードを使った電子署名で手続が完結する。紙の書類を抱えて役場へ行く必要がなくなるのは、実務を経験してきた者としても大きな前進だと感じる。

次に、リモートでの作成が可能になった点だ。公証人と画面越しにやり取りし、自宅や職場から内容の確認や署名ができる。体調や距離の問題でこれまで役場へ行けなかった人も、オンラインで同席できるようになった。関係者がそれぞれの場所から参加できるというのは、想像以上に心強い。

さらに、公正証書自体も電子データで作成されるのが原則となった。実印の代わりに電子署名を行い、完成した証書はデータで受け取ることができる。保管や共有が容易になり、「紙を失くしたらどうしよう」という不安からも解放される。

もちろん、リモートでの作成にはいくつか条件がある。利用者の希望、関係者全員の同意、公証人が適当と判断すること、そして法律で認められている手続であることだ。やや堅苦しく聞こえるが、要するに「本人の意思を確認し、安全に進めるためのルール」にすぎない。

完成した証書の受け取り方法も選べるようになった。紙でも、インターネット経由でも、記録媒体でもよい。電子データで受け取る場合には、パスワードを別の方法で伝えるなど、安全面にも配慮がなされている。また、養育費の取り決めや死後事務委任契約などでは手数料の軽減も予定されており、経済的な負担も軽くなる。

公正証書は、遺言や離婚、契約など、人生の節目に関わる大切な書類だ。不便さが理由で利用をあきらめてきた人がいたとすれば、その壁が取り払われる意味は大きい。

私自身も、依頼人とともに「これならできそうだ」と感じる場面が増えた。移動や時間の負担が減り、必要な制度が必要な人に届きやすくなる。制度が人の暮らしに寄り添う方向へ進んでいることを実感する。

ようやく、公正証書が「特別な人のための制度」から、「誰もが利用できる身近な仕組み」へと変わりつつある。

手続のハードルが下がった今こそ、公正証書の本来の価値、安心と信頼を形にする仕組みが、より多くの人に届く時代になった。

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2025年9月12日 金曜日

司法書士が直面する情報提供の葛藤  ―相続人の要望と秘密保持義務のはざまで―

先日、成年後見業務でご縁のあった被後見人A氏が逝去された。A氏には複数の相続人がいるため、私は職務上請求権に基づき戸籍謄本等を辿り、相続人全員を特定した。

その後、相続人の一人であるB氏から、私が相続人調査で取得した戸籍謄本等のコピーをすべて送ってほしいという要望があった。

私が戸籍謄本等を取得したのは、あくまで被後見人A氏の財産を相続人全員に引き継ぐという、成年後見人としての業務のためである。B氏個人との間に、戸籍謄本の提供に関する契約があるわけではない。そもそも、B氏はA氏の相続人として、自ら役所に請求すれば戸籍謄本等を取得できる立場にある。また、私が取得した戸籍謄本には、B氏だけでなく、他の相続人や場合によっては相続人以外の第三者の個人情報も含まれている。

ここに、司法書士としての職業倫理と、現実的な問題が複雑に絡み合う。

司法書士は、司法書士法第24条により、業務上知り得た秘密を他に漏らしてはならないという厳格な秘密保持義務を負う。戸籍謄本に記載された情報は、まさにこの秘密保持義務の対象である。もちろん、秘密保持義務には「正当な事由がある場合」という例外規定がある。相続手続きの円滑化のために相続人に情報を提供することが、この「正当な事由」に該当しないとは言い切れない。しかし、他の相続人の個人情報を、その同意を得ずにB氏へ提供することは、秘密保持義務に抵触するリスクを伴う。

B氏の気持ちも理解できる。相続手続きは煩雑であり、自分で戸籍を集める手間を省きたいと考えるのは自然なことだ。私が既に取得しているのだから、提供してもらいたいという要望は合理的にも見える。しかし、私の立場からすれば、軽々に個人情報を開示することはできない。相続人が遺産分割協議に際して、他の相続人に対して優位に立つ目的で戸籍を求めているかもしれないということも考えなければいけない。司法書士は中立公正な立場を保つ必要があり、特定の相続人だけに有利な情報提供は避けるべきである。

結局、私はB氏の要望に応じられない旨を回答した。今回のように、一見単純に見える情報提供の要望も、その背後には複雑な法的・倫理的課題が潜んでいる。なお、司法書士は秘密保持義務に違反すると「6月以下の拘禁刑又は50万円以下の罰金」と刑事罰もあり、その責任は重い。

批判が渦巻く現代では小さなきっかけがクレームに繋がる。最近は、どこから矢が飛んでくるかわからないと剣士のように身構えながら業務に取り組んでいる。

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2025年8月19日 火曜日

AIでの文字起こしが成年後見の現場で大活躍

日々の仕事の中で、会話を録音し、AIアプリで文字起こしをするようになった。これは思いのほか便利である。

私の業務では、成年後見人として医師から治療方針の説明を受けたり、施設職員や福祉関係者と情報をやりとりしたりする場面が多い。そうした中で、それぞれの分野の専門用語が飛び交うことになる。すべてをその場で正確に理解し、記憶することは難しい。

たとえば、ある方が入院された際、病名として「下肢閉塞性動脈硬化症」という言葉が医師から電話で伝えられた。耳では聞いているはずなのに、文字が浮かばない。どんな病気か、どんな処置が必要なのか、ぼんやりとしたまま通話が終わることもある。専門外の言葉は、頭の中で意味と結びつけるのに時間がかかる。

福祉の現場でも事情は同じである。制度の仕組みや対応方針について説明を受けても、すぐに理解しきれない場合がある。依頼者との最初の面談でも、こちらがゼロから情報を集める立場にある。相手も説明のプロではない。思い出した順に断片的に話されることも多く、こちらはまず話の構造をつかむのに集中せざるを得ない。たとえば5つの課題があるとしても、最初の1~2に意識が引き寄せられ、他を聞き落としてしまうことがある。

こうしたとき、録音と文字起こしは大きな助けになる。メモだけでは追いつかない量の情報が、文字というかたちで再確認できる。あとから読み返せば、そのときの状況や会話のニュアンスまでもが鮮明によみがえる。

AIは、記憶の補助だけでなく、情報の整理や要約までしてくれる。自分で頭を整理して文章化するための時間が減り、その分を他の業務に充てることができる。これは単なる効率化にとどまらず、業務の質を保つための土台にもなっていると感じる。

AIツールの利用は、まだ日本では一般的とは言えない。ある調査によれば、AIツールを「積極的に利用している」と回答した人は8.6%に過ぎず、「まったく利用していない」が61.5%にのぼるという(※1)。裏を返せば、今AIを取り入れることは付加価値になりうる。

一方で、「録音してもいいのか」という懸念の声もある。ある研修でこのAIを紹介した際、そのような質問が出た。確かに、相手の同意を得たうえで録音することが望ましいが、仮に同意がなかった場合でも、録音が違法となるわけではない。録音が訴訟で証拠として使われる場面もある。録音の手段が反社会的である場合を除き、証拠として否定されることはほとんどない(※2)。悪意や挑発を目的とするものでなければ、録音という行為自体に問題はないとされている。

AIが当たり前に使われる社会になったとき、何が変わるのだろうか。効率化という言葉だけでは語り尽くせない変化が、すでに静かに始まっているのかもしれない。

※1 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000148.000034654.html
※2 『Q&Aカスタマーハラスメント対策ハンドブック』(日本弁護士連合会民事介入暴力対策委員会編)

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2025年8月2日 土曜日

「神はいない」と感じた日 ― トラブルから身を守る俯瞰力―

私はほぼ毎日、近所の氏神様を参拝している。すると時折、長時間にわたって祈りを捧げている人を目にすることがある。そうした人々は、手を合わせ、頭を下げ、何かを必死に神に訴えかけている。私はその後ろで順番を待ちながら、きっと深い悩みがあるのだろうと静かに見守る。

一方で、その姿を見て「今、この人には神がいないのだな」と感じることもある。多くの人にとって、神とは天から人々を見守る存在であり、俯瞰的な視点を持つものとして捉えられている。神のような存在とは、物事を客観的に見つめることができる視点の象徴でもある。

人は深い悩みの中にあるとき、往々にして自分を客観的に見ることができなくなっている。逆に言えば、俯瞰的・客観的な視点を意識することで、多くの困難は回避できる可能性がある。

もっとも、現実には、自分の力ではどうにもならない困難──たとえば病気や災害、身近な人の不幸など──に直面し、祈らずにはいられないという人もいる。そうした切実な祈りの姿を否定するつもりはない。祈りとは、理屈を超えた人間の営みであり、無力さと向き合いながらも何かにすがろうとする心の現れである。

ただ、人生の中で繰り返される多くの対人トラブルや衝突は、自らの視点の偏りや感情の渦に巻き込まれることで生じている場合も多い。実際、トラブルの渦中にある相談者の多くは、自己の主張に終始し、相手の立場に立って物事を考えようとしないことが多い。

生きていく上で、自分を守ることは確かに重要である。しかし、他者を優先せよという意味ではなく、周囲の状況や他人の立場を理解することが、結果として自分を守ることにつながると考える。

それは、横断歩道を渡るときに左右の安全確認をするようなものである。周囲を見渡し、状況を把握することが、危険を避け、安全に生きることにつながるのである。

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2025年7月8日 火曜日

本家の嫁が背負う祭祀と遺産の不均衡:法と慣習の狭間で

本家の墓を守る立場に置かれながら、遺産は一切承継しなかった、という話を聞くことがある。たとえば、夫に先立たれた長男の妻が、義父母の介護を行い、葬儀や法要を取り仕切ってきたにもかかわらず、相続人ではないため、遺産分割協議には関与できず、何の財産的利益も受けなかったケースである。その一方で、墓地の管理や仏壇の維持といった祭祀に関する責任だけは、慣習的に引き受けるよう求められたという。

 このような状況は、法制度上も説明がつく。民法897条は、系譜・祭具・墳墓の承継、すなわち祭祀財産の承継について、次のように定めている。

まず、地域や家の慣習に従うこと。慣習が明らかでない場合には、被相続人の指定によること。指定がなければ、家庭裁判所が決定することになる。そしてこの祭祀承継者は、必ずしも法定相続人である必要はない。

したがって、血縁関係のない「本家の嫁」であっても、祭祀承継者になることはあり得る。長年にわたり家の宗教的・儀礼的行事を担っていたことが評価されれば、なおさらである。

一方で、相続財産の承継については民法の規定に従う。相続人に該当しない者が遺産を受け取るには、被相続人の遺言や死因贈与契約などによる明示的な意思表示が必要である。それがなければ、法定相続人による協議で財産が分配され、相続人以外の者は除外される。

この構造により、遺産を受け取ることはできないが、祭祀の義務だけは引き受けるという状況が生じ得る。墓地の使用料や管理費、定期的な供養の手配といった負担が、祭祀承継者にのしかかることになる。

制度的には、祭祀財産と相続財産が別の原理で承継されるため、こうした事例は法的に矛盾しているわけではない。しかし、当事者にとっては、承継と報酬、責任と権利の関係が不平等に感じられる場面がある。

このような問題を回避するには、あらかじめ遺言などで明確な意思を示すことが有効である。祭祀を託したい相手に対して、相応の財産を渡す意向があるのであれば、それを文書に残す必要がある。また、関係者間での事前の合意形成も望ましい。

最近は墓じまいをするという話も聞くが、まだしばらくは残る問題だろう。制度と現実の乖離は、どの社会にも存在する。法的には正当であっても、当事者に不満や疑念が生じることは避けがたい。そうであるからこそ、制度の隙間を見据えた対応が求められる。

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2025年6月1日 日曜日

誰かの声を借りるということ ~親子の距離感に映る、言葉の伝え方の工夫~

先日、代々木公園で娘の自転車練習に付き合った。7歳になる娘が、初めて補助輪なしに挑戦したのである。

実は冬の頃から「練習したい」と言っていたのだが、ようやく暖かくなって実行に移せた。娘は「学校で一輪車が少し乗れるから大丈夫」と自信満々だった。だが、いざ乗ってみると、そう簡単にはいかない。

私は娘の自転車の後ろを押さえながら、「ペダル漕いで」とか、「もう少し体をまっすぐに」といった声をかけていた。しかし、全然うまくいかない。私も疲れてきたので、休憩中にYouTubeで「自転車の教え方」を検索してみた。

そこに出てきた方法は、私のやり方とはまったく違った。私のアドバイスは「上から目線」の指示命令であり、YouTubeのそれは「コツの共有」に近い。そこで、私はそれ以降、「こうするといいらしいよ」と、YouTubeの“誰か”の声を借りて伝えるようにした。すると、娘も素直に聞いてくれるようになり、何より私自身がラクになった。おかげで、親子ともども長時間、気持ちよく練習に取り組めた。

これは私の趣味である占いにも通じる話だ。たまに友人を鑑定することがあるのだが、「占いではこう出ているよ」と伝えると、不思議なほどすんなり受け入れてもらえる。逆に、まったく同じことを「私の意見」として言うと、反発されることもある。

思えば、私が実家にいたころ、母親がよくぼやいていた。「お父さんは私の言うことは聞かないのに、飲み屋で聞いた話は素直に聞く」と。

家族や身近な人の言葉ほど、なぜか素直に受け取れないことがある。親から子への忠告、子から親への新しい提案。どちらも、距離が近すぎるからこそ摩擦が生まれるのかもしれない。これと似た構図は、相続対策や事業承継の現場でも頻繁に見られる。

「親に何度も言ってるんですが、聞いてくれなくて……」
「息子がうるさくて、最近のやり方ばかり押し付けてくる」

そういった悩みを、司法書士としてよく聞く。きっと誰しも、近しい人の声を一番疑ってしまう生き物なのだろう。だからこそ、外の誰かの声を借りることが、時に大きな突破口になる。

私もその「誰か」の一人になれたらと思う。それが司法書士の役割のひとつでもあるだろう。

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