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2025年8月19日 火曜日

AIでの文字起こしが成年後見の現場で大活躍

日々の仕事の中で、会話を録音し、AIアプリで文字起こしをするようになった。これは思いのほか便利である。

私の業務では、成年後見人として医師から治療方針の説明を受けたり、施設職員や福祉関係者と情報をやりとりしたりする場面が多い。そうした中で、それぞれの分野の専門用語が飛び交うことになる。すべてをその場で正確に理解し、記憶することは難しい。

たとえば、ある方が入院された際、病名として「下肢閉塞性動脈硬化症」という言葉が医師から電話で伝えられた。耳では聞いているはずなのに、文字が浮かばない。どんな病気か、どんな処置が必要なのか、ぼんやりとしたまま通話が終わることもある。専門外の言葉は、頭の中で意味と結びつけるのに時間がかかる。

福祉の現場でも事情は同じである。制度の仕組みや対応方針について説明を受けても、すぐに理解しきれない場合がある。依頼者との最初の面談でも、こちらがゼロから情報を集める立場にある。相手も説明のプロではない。思い出した順に断片的に話されることも多く、こちらはまず話の構造をつかむのに集中せざるを得ない。たとえば5つの課題があるとしても、最初の1~2に意識が引き寄せられ、他を聞き落としてしまうことがある。

こうしたとき、録音と文字起こしは大きな助けになる。メモだけでは追いつかない量の情報が、文字というかたちで再確認できる。あとから読み返せば、そのときの状況や会話のニュアンスまでもが鮮明によみがえる。

AIは、記憶の補助だけでなく、情報の整理や要約までしてくれる。自分で頭を整理して文章化するための時間が減り、その分を他の業務に充てることができる。これは単なる効率化にとどまらず、業務の質を保つための土台にもなっていると感じる。

AIツールの利用は、まだ日本では一般的とは言えない。ある調査によれば、AIツールを「積極的に利用している」と回答した人は8.6%に過ぎず、「まったく利用していない」が61.5%にのぼるという(※1)。裏を返せば、今AIを取り入れることは付加価値になりうる。

一方で、「録音してもいいのか」という懸念の声もある。ある研修でこのAIを紹介した際、そのような質問が出た。確かに、相手の同意を得たうえで録音することが望ましいが、仮に同意がなかった場合でも、録音が違法となるわけではない。録音が訴訟で証拠として使われる場面もある。録音の手段が反社会的である場合を除き、証拠として否定されることはほとんどない(※2)。悪意や挑発を目的とするものでなければ、録音という行為自体に問題はないとされている。

AIが当たり前に使われる社会になったとき、何が変わるのだろうか。効率化という言葉だけでは語り尽くせない変化が、すでに静かに始まっているのかもしれない。

※1 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000148.000034654.html
※2 『Q&Aカスタマーハラスメント対策ハンドブック』(日本弁護士連合会民事介入暴力対策委員会編)

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2025年8月2日 土曜日

「神はいない」と感じた日 ― トラブルから身を守る俯瞰力―

私はほぼ毎日、近所の氏神様を参拝している。すると時折、長時間にわたって祈りを捧げている人を目にすることがある。そうした人々は、手を合わせ、頭を下げ、何かを必死に神に訴えかけている。私はその後ろで順番を待ちながら、きっと深い悩みがあるのだろうと静かに見守る。

一方で、その姿を見て「今、この人には神がいないのだな」と感じることもある。多くの人にとって、神とは天から人々を見守る存在であり、俯瞰的な視点を持つものとして捉えられている。神のような存在とは、物事を客観的に見つめることができる視点の象徴でもある。

人は深い悩みの中にあるとき、往々にして自分を客観的に見ることができなくなっている。逆に言えば、俯瞰的・客観的な視点を意識することで、多くの困難は回避できる可能性がある。

もっとも、現実には、自分の力ではどうにもならない困難──たとえば病気や災害、身近な人の不幸など──に直面し、祈らずにはいられないという人もいる。そうした切実な祈りの姿を否定するつもりはない。祈りとは、理屈を超えた人間の営みであり、無力さと向き合いながらも何かにすがろうとする心の現れである。

ただ、人生の中で繰り返される多くの対人トラブルや衝突は、自らの視点の偏りや感情の渦に巻き込まれることで生じている場合も多い。実際、トラブルの渦中にある相談者の多くは、自己の主張に終始し、相手の立場に立って物事を考えようとしないことが多い。

生きていく上で、自分を守ることは確かに重要である。しかし、他者を優先せよという意味ではなく、周囲の状況や他人の立場を理解することが、結果として自分を守ることにつながると考える。

それは、横断歩道を渡るときに左右の安全確認をするようなものである。周囲を見渡し、状況を把握することが、危険を避け、安全に生きることにつながるのである。

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2025年7月8日 火曜日

本家の嫁が背負う祭祀と遺産の不均衡:法と慣習の狭間で

本家の墓を守る立場に置かれながら、遺産は一切承継しなかった、という話を聞くことがある。たとえば、夫に先立たれた長男の妻が、義父母の介護を行い、葬儀や法要を取り仕切ってきたにもかかわらず、相続人ではないため、遺産分割協議には関与できず、何の財産的利益も受けなかったケースである。その一方で、墓地の管理や仏壇の維持といった祭祀に関する責任だけは、慣習的に引き受けるよう求められたという。

 このような状況は、法制度上も説明がつく。民法897条は、系譜・祭具・墳墓の承継、すなわち祭祀財産の承継について、次のように定めている。

まず、地域や家の慣習に従うこと。慣習が明らかでない場合には、被相続人の指定によること。指定がなければ、家庭裁判所が決定することになる。そしてこの祭祀承継者は、必ずしも法定相続人である必要はない。

したがって、血縁関係のない「本家の嫁」であっても、祭祀承継者になることはあり得る。長年にわたり家の宗教的・儀礼的行事を担っていたことが評価されれば、なおさらである。

一方で、相続財産の承継については民法の規定に従う。相続人に該当しない者が遺産を受け取るには、被相続人の遺言や死因贈与契約などによる明示的な意思表示が必要である。それがなければ、法定相続人による協議で財産が分配され、相続人以外の者は除外される。

この構造により、遺産を受け取ることはできないが、祭祀の義務だけは引き受けるという状況が生じ得る。墓地の使用料や管理費、定期的な供養の手配といった負担が、祭祀承継者にのしかかることになる。

制度的には、祭祀財産と相続財産が別の原理で承継されるため、こうした事例は法的に矛盾しているわけではない。しかし、当事者にとっては、承継と報酬、責任と権利の関係が不平等に感じられる場面がある。

このような問題を回避するには、あらかじめ遺言などで明確な意思を示すことが有効である。祭祀を託したい相手に対して、相応の財産を渡す意向があるのであれば、それを文書に残す必要がある。また、関係者間での事前の合意形成も望ましい。

最近は墓じまいをするという話も聞くが、まだしばらくは残る問題だろう。制度と現実の乖離は、どの社会にも存在する。法的には正当であっても、当事者に不満や疑念が生じることは避けがたい。そうであるからこそ、制度の隙間を見据えた対応が求められる。

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2025年6月1日 日曜日

誰かの声を借りるということ ~親子の距離感に映る、言葉の伝え方の工夫~

先日、代々木公園で娘の自転車練習に付き合った。7歳になる娘が、初めて補助輪なしに挑戦したのである。

実は冬の頃から「練習したい」と言っていたのだが、ようやく暖かくなって実行に移せた。娘は「学校で一輪車が少し乗れるから大丈夫」と自信満々だった。だが、いざ乗ってみると、そう簡単にはいかない。

私は娘の自転車の後ろを押さえながら、「ペダル漕いで」とか、「もう少し体をまっすぐに」といった声をかけていた。しかし、全然うまくいかない。私も疲れてきたので、休憩中にYouTubeで「自転車の教え方」を検索してみた。

そこに出てきた方法は、私のやり方とはまったく違った。私のアドバイスは「上から目線」の指示命令であり、YouTubeのそれは「コツの共有」に近い。そこで、私はそれ以降、「こうするといいらしいよ」と、YouTubeの“誰か”の声を借りて伝えるようにした。すると、娘も素直に聞いてくれるようになり、何より私自身がラクになった。おかげで、親子ともども長時間、気持ちよく練習に取り組めた。

これは私の趣味である占いにも通じる話だ。たまに友人を鑑定することがあるのだが、「占いではこう出ているよ」と伝えると、不思議なほどすんなり受け入れてもらえる。逆に、まったく同じことを「私の意見」として言うと、反発されることもある。

思えば、私が実家にいたころ、母親がよくぼやいていた。「お父さんは私の言うことは聞かないのに、飲み屋で聞いた話は素直に聞く」と。

家族や身近な人の言葉ほど、なぜか素直に受け取れないことがある。親から子への忠告、子から親への新しい提案。どちらも、距離が近すぎるからこそ摩擦が生まれるのかもしれない。これと似た構図は、相続対策や事業承継の現場でも頻繁に見られる。

「親に何度も言ってるんですが、聞いてくれなくて……」
「息子がうるさくて、最近のやり方ばかり押し付けてくる」

そういった悩みを、司法書士としてよく聞く。きっと誰しも、近しい人の声を一番疑ってしまう生き物なのだろう。だからこそ、外の誰かの声を借りることが、時に大きな突破口になる。

私もその「誰か」の一人になれたらと思う。それが司法書士の役割のひとつでもあるだろう。

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2025年5月8日 木曜日

登記の完了まで1か月以上かかる現状について

久しぶりに司法書士会の総会に出席した。司法書士として登録してから、気がつけば19年が経っていた。そのせいか、会場には知らない顔が増え、年長の方々の姿は少なくなっていた。少し寂しい気もするが、若い世代が会の中心で活躍している様子を見るのは、頼もしいことでもある。

さて、総会の質疑応答では、登記の処理の遅れについて、いくつかの意見が出された。

「1ヶ月以上かかるのはおかしい」「法務局にもっと改善を求めるべきだ」

こうした声が上がるのも無理はないと思う。かつては、申請から完了まで1週間程度、早ければ翌日に完了することもあった。それが今では、1ヶ月以上かかることも珍しくない。

私がこの仕事を始めた頃は、すべて書面での申請だった。法務局の窓口に書類を持参し、完了後もまた窓口に足を運んで受け取っていた。その当時は、登記の申請から完了までは2週間程度だった。その後オンライン申請が進み、書類のやりとりも郵送が主になり、登記はより迅速で効率的なものになっていった。だからこそ、いまのように時間がかかる状況に対して、違和感を持つ気持ちはよくわかる。

一方で、現状についての説明もあった。登記の処理が遅れている背景には、法務局職員の人手不足と働き方改革の影響があるという。
申請件数そのものが大幅に増えたわけではなく、相続登記の義務化による影響についても、登記の増加率は107%にとどまっており、それが直接の原因ではないという説明があった。人手不足も働き方改革も、どちらも時代の流れの中で起きていることで、今後もすぐに解消するものではなさそうだ。

だからこそ、登記の現場で働く私たちにも、できる工夫があるかもしれない。たとえば、案件ごとに緊急度を見極めて、急ぎのものは事前に相談し、余裕のあるものは無理のないスケジュールで進める。
依頼者にも、現在の状況を丁寧に説明することが大切になってくると思う。久しぶりに総会に出席し、昔との違いをいろいろと感じた。

登記制度も、社会全体の働き方も変わってきている。そんな中で、今の状況を受け入れつつ、自分にできる対応を考えていくことが、これからの実務に求められていくのかもしれない。

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2025年4月16日 水曜日

不動産の名義変更を予定されているお客様へ ~読み仮名・生年月日・メールアドレスのご提供について~

このたび法務省の制度改正により、2025年4月21日以降に不動産の名義変更(所有権移転登記)を申請される方については、従来の「氏名・住所」に加えて、「氏名の読み仮名」「生年月日」「メールアドレス」のご提供が必要となりました。

https://www.moj.go.jp/MINJI/minji05_00678.html

 これは、2026年4月から始まる新制度に向けた準備です。今後、法務局が住民票の情報をもとに、引っ越し後の住所変更を自動で反映できるようになるため、あらかじめ「検索用情報」としてこれらの情報を登録しておく必要があります。

■ ご提供いただく情報

・氏名(+読み仮名)

・現住所

・生年月日

・メールアドレス(ご本人のもの)

 この制度により、たとえば将来ご本人が住所変更の登記をし忘れてしまった場合でも、法務局が職権で情報を確認し、登記簿の住所を正しく更新できるようになります。その結果、不動産の手続きが滞りなく進み、相続や売却時のトラブル防止にもつながります。

 

■ メールアドレスをお持ちでない方へ

 ご本人様がメールアドレスをお持ちでない場合でも、登記申請は可能です。

 ただしその場合、住所変更などの確認を法務局が行う際に、メールでの連絡ができませんので、必要な確認や通知が郵送等で行われることになります。

 可能であれば、スマートフォンやパソコンで使用できるメールアドレスをご用意いただくことをおすすめいたしますが、難しい場合はその旨をお申し出ください。状況に応じて柔軟に対応いたします。

 制度の内容や手続きの流れについてご不明な点がありましたら、どうぞお気軽にご相談ください。ご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

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2025年4月2日 水曜日

50歳で転職サイトに登録して気づいた、司法書士としての働き方と業界の限界

先月、ふと思い立って転職サイトに登録してみた。

転職を本気で考えているわけではない。ただ、自分の市場価値がどの程度なのか、そして現在の労働市場がどのように変化しているのかを知りたくなったのだ。私が就職活動をしていた頃と比べ、世の中は大きく変わっている。それを実感したかった。

実際に登録してみると、驚くほどのスピードで多くのオファーが届いた。50歳という年齢を考えれば、これは想定外だった。中には年収にして1,000万円を超える求人もあった。思わず「本当に?」と目を疑った。

この変化を実感するたびに、私は考えてしまう。

経営者でいることは、果たして今も自由なのか?

私が独立したのは15年前。「自由な働き方」を求めての決断だった。確かに、時間の使い方や仕事の選び方は自分次第だ。しかし最近では、コンプライアンスや社会的責任、風評リスクなど、かつて想定していなかったプレッシャーが増えている。そんな中、会社員として柔軟に働き、安定した収入を得ている妻の姿を見ると、「今の時代、自由なのはむしろ従業員では?」という逆説的な問いが浮かんでくる。

届いたオファーの中には、司法書士事務所や司法書士専門の転職エージェントからのものもあった。だが、提示された条件は芳しくない。エージェントに聞けば、業界全体で賃金を上げるのは難しいという。理由は明確だ。司法書士業界は、新たなサービスを生み出せていないからだ。

もちろん、業務範囲はここ数年で広がっている。弁護士が行っていた業務の一部も担えるようになった。しかし、それはあくまで“分担”であり、“進化”ではない。依頼件数が増えても、提供する価値が変わらなければ、価格に反映させることはできない。ましてや、今の若い人たちにとって、低賃金・長時間労働の業界に魅力を感じるはずもない。

一方で、他の業界ではDX(デジタルトランスフォーメーション)が進み、働き方もどんどん改善されている。人材難の中、中小企業でさえ賃金引き上げに取り組んでいる。そうした流れを横目に見ていると、司法書士業界がこのままでいいはずがない、と思わずにいられない。

業界の魅力を維持し、持続的に発展させるにはどうすればよいか。私はこう考える。

「新しいサービスを創ること」——それに尽きる。

AIやRPAの導入、オンライン相談の普及、他士業との連携によるワンストップ・サービスの提供。可能性はいくらでもある。ただ、現場がその一歩を踏み出すことを恐れていては、変革は起こらない。

司法書士という資格の価値を守るためにも、今こそ業界は変わるべきときだ。私は、そう強く感じている。

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2025年3月2日 日曜日

メアドに振り仮名?

このコラムで何度か書いているが、日本では「所有者不明土地問題」が深刻化している。登記名義人の死亡後、相続登記がなされないまま長期間放置された結果、実質的な所有者が分からなくなる土地が全国に増加し、その面積は九州本島の約半分とも言われる。背景には、相続登記が義務化されていなかったこと、そして登記システムに「名寄せ」の機能がないことがある。

こうした状況を改善するため、不動産登記制度の新たな改正が行われた。改正の要点は二つある。

第1に、海外に住所がある日本人が日本国内の不動産の登記名義人となる場合、日本国内の連絡先を登記申請情報として提供することが必要となった。これにより権利移転の際に連絡不能となるリスクを軽減できる。

第2に、登記申請時に検索性向上のための情報として、(1)氏名、(2)氏名の振り仮名、(3)住所、(4)生年月日、(5)メールアドレス、の提出が求められるようになった。生年月日やメールアドレスを集約し、将来的に同一人物の所有不動産をより正確に把握できる名寄せ機能に活かそうという狙いがある。

しかし、この改正には思わぬ波紋が広がった。特に問題視されたのが「メールアドレスに振り仮名を付ける」というルールである。実務の現場では、司法書士たちが強く反発した。理由は単純で、「意味のない手間が増えるだけ」だからだ。現代の司法書士が手書きで登記申請書を作成することは皆無で、Wordなどのソフトを使い、オンラインで申請するのが常識である。そんな中で、メールアドレスにまで振り仮名を付ける必要性を感じる実務家は皆無だった。

正直なところ、「taro.kono@gmail.com」を「タロー ドット コウノ アット マーク ジーメール ドット コム」と打ち込む姿を想像すると、苦笑いがこぼれる。もはや登記というより暗号解読の世界だ。

この混乱に拍車をかけたのが、元デジタル大臣・河野太郎氏のSNSでの一言だった。彼は「法務省、メールアドレスに振り仮名っていったい・・・」と投稿。たったこれだけのコメントが瞬く間に拡散し、司法書士たちの怒りと共感を一気に引き寄せた。河野氏の発言は、意味のない作業にリソースを割く法務省への皮肉であり、まさに現場のモヤモヤを代弁した形である。

結果として、当初の規定は修正され、「手書きの申請に限り振り仮名が必要」との結論に落ち着いた。現代の実務で手書きの申請がほとんど存在しないことを考えれば、この修正は「誰も傷つかない」落としどころとなった。

今回の改正は、所有者不明土地問題の解決を目指した重要な一歩であることに間違いはない。しかし、その裏側では、官僚的な形式主義と現場の合理性が衝突し、SNS世論がそれを一気に拡散するという、現代日本らしい風景が広がっていた。日本の登記制度はまだまだ進化の途中である。

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2025年1月31日 金曜日

伝わる言葉の距離感

先日、息子の登園の際に、息子の手袋がないので、妻にLINEで問い合わせると「ゴメン、私のカバンに入ったまま」という返信があった。その夜、入浴中にそのことを思い出し、浴室から妻に「手袋!」と言った。妻はその一言で息子の手袋のことだとわかり「わかった」と返事があった。

日常の会話はこのように、一言で終わる会話が多い。言葉に詰まって「えっーとあのー」と言っていても、妻が「○○のこと?」と正解を返してくれることもある。子供の頃、家の茶の間でキョロキョロしているだけで母親が欲しいものを出してきたこと、あの感覚に似ている。それは、家族や仲間の間で、過去から現在にわたって共有された情報があるからこそ成立する。共有された時間が多ければ多いほど、コミュニケーションは非言語化し、短縮されていく。

これとは真逆の世界にあるのが、司法書士の日常である。我々が扱う法律文書が求めるのは「具体性」「網羅性」「明確性」である。家族間の会話で「手袋!」という一言が通じるのは、相手が過去の状況や関係性を前提に推測してくれるからだが、法律文書ではその「推測」というプロセスを完全に排除しなければならない。書面だけで、当事者間や第三者が正確に内容を理解できることが求められる。

例えば、登記申請における「不明確な記載」と「明確な記載」を比較してみると、その違いは一目瞭然だ。

●不明確な記載:「申請者が不動産を購入したため、所有権移転登記を行う。」

 これでは「誰が」「どの不動産を」「どのような売買契約に基づいて」購入したのかがわからない。

○明確な記載:「申請者(○○太郎)は、2025年1月1日に、○○市○丁目○番地の土地(地番○○)について、売主(△△花子)との間で売買契約を締結し、所有権を取得した。このため、所有権移転登記を申請する。」

 これは、誰が、どの土地を、いつ、どんな契約をもとに購入したかが、具体的に記載されている。

このように法律文書では、情報をできる限り詳細に、かつ網羅的に記述することで、第三者でも内容を正確に理解できるようにする。情報の過不足が生じると、解釈の余地が生まれ、トラブルにつながるからだ。

日常生活でも行き違いやトラブルを防ぐには、この「具体性」「網羅性」「明確性」の考え方が役に立つ。例えば、子供の送り迎えについて、「明日の送りお願いね」と言ったとき、子供が2人いれば誰を何時に送るのか迷うこともあるだろう。この会話は「(わたしは)明日の(朝8時に)(息子の)(保育園の)送りを(あなたに)お願いね」であり、カッコの中が抜けている。法律文書のように完璧を求める必要はないが、日常会話もカッコの中を意識して適宜加除することでトラブルは減らせるだろう。

法律文書と日常会話は、極端に異なる世界のようでありながら、実は「誤解を防ぐ」という点で共通の目標を持っている。日常生活に法律文書のような正確さを少し取り入れるだけで、身近なコミュニケーションはもっとスムーズになるはずだ。

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2024年11月18日 月曜日

兵庫県知事選とロスジェネ世代の未来-地方から始まる自律共生の時代

2024年11月、兵庫県知事選挙で再選を果たした斎藤元彦氏。
この結果は、単なる地方自治の一幕にとどまらず、日本全体の政治構造に潜む変革の兆しを示すものだ。

斎藤氏は、既得権益と戦う「改革者」としてのイメージをSNSを通じて広く浸透させた。
特に、これまで政治に無関心とされてきた若年層の支持を得たことが、彼の勝利を支えた。
団塊世代が徐々に影響力を失い、ロスジェネ世代が次の人口ボリュームゾーンとなる今、この知事選は自律分散型社会への移行を象徴する出来事と言えるだろう。

オムロンが提唱するSINIC理論によれば、科学技術と社会は相互作用しながら進化し、今後は「自律共生社会」へと向かうとされている。
今回の知事選挙では、SNSやAIを活用した戦略が中心となり、中央集権的なマスメディアの情報支配を超える形で、地方からの声が政治に反映された。
斎藤氏に関するパワハラ疑惑や批判的報道が広がる一方で、県民の多くがその「改革者」としての姿勢を評価し、既存の権威や中央の論調に反発したのは、デジタル技術が生んだ新たな政治参加の形だといえる。

さらに、これからの10年間で団塊世代の減少が進む中、日本社会はロスジェネ世代に大きな注目を集めるだろう。
この世代は、就職氷河期という過酷な環境の中で社会に出た。
非正規雇用や低賃金を強いられた背景を持つ一方、競争社会や自己責任論を内面化している特徴がある。
既存の枠組みから外れた経験が、彼らの社会観や価値観に強く影響を与えている。
こうしたロスジェネ世代が、次の人口ボリュームゾーンとして社会を動かす力を持つようになるのは必然だ。

この世代が直面するのは、親世代の介護や自身の老後資金不足といった現実的な課題である。
その中で、労働市場での多様な働き方を模索し、フリーランスや起業、地方移住といった新たな選択肢を選ぶ人が増えるだろう。
同時に、デジタル技術を活用した新しい共助モデルを構築し、地域やオンラインコミュニティを基盤にした共生の仕組みを生み出していく可能性がある。
彼らは「見捨てられた世代」であるとの意識から、格差是正や社会的包摂を目指す活動に積極的に関わるだろう。

今回の兵庫県知事選で見られたように、中央集権的な構造から地方の自律的な判断へと重心が移りつつある現象は、SINIC理論が示唆する「自律共生社会」の到来を強く示している。
これは単なる地方自治の範囲を超えた、大きな社会変化の始まりだと言える。
デジタル技術の進展が情報の流れを分散化し、多様な声が社会を動かす時代。団塊世代が築いた中央集権的な社会構造に代わり、ロスジェネ世代が推進する自律分散型社会が、今後の10年で日本全体に広がる可能性を秘めている。

これからの日本社会は、地方や個人が主体となり、自らの意思で変化を起こしていく「自律共生」の時代を迎える。兵庫県での静かな革命は、その序章に過ぎない。
この動きが地方から全国へと広がり、新しい社会構造を築くきっかけとなることを期待したい。
団塊世代からロスジェネ世代へのバトンタッチは、日本社会に新たな変革をもたらす第一歩と言えるだろう。

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