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2024年7月5日 金曜日
【温かい世界へ】
先日、娘を小学校に送って帰ってくると、道路の向こうで嘔吐している子供がいた。小学校5年生ぐらいの男の子がランドセルを背負いながら歩道に座り込み、何度も嘔吐していた。時間は朝の8時半頃で、駅や仕事に向かう大人たちが多くいたが、その男の子を見て立ち止まる人はいなかった。
道路を渡り、その男の子に近寄ると彼は泣いていた。「大丈夫?」と声をかけると、彼はうずくまったままで答えなかった。少しするとランドセルから携帯を取り出し、親に電話をかけた。ヒクヒクと声を詰まらせながら、道路で吐いたことを親に伝えていた。私は「おじさんが片づけておくから大丈夫だよ」と言い、彼は「ありがとうございます」と言って帰っていった。
娘はこの4月に小学校に入学した。登校初日、娘が緊張しているのがわかり、新しい環境に馴染めるかどうか親も心配だった。登校中も言葉数は少なく、背中から寂しさが伝わってきた。そして校門での別れ際、まるで今生の別れかと思うほど大泣きする姿が4月の終りまで続いたのだ。
登校する子供たちを見ていると、友達と会話したりふざけながら登校する子もいれば、一人で登校する子もいる。一人で登校する子の多くはうつむき加減で歩き、周りを見ず、むしろ外の世界を避けるかのように下を見ているように感じる。その姿がとても孤独に見えて切なかった。
それは大人も同じで、大人も下を見ながら歩いている。外の世界を見ず、スマホの中の世界に生きている。我が家は駅と小学校を繋ぐ一本道の中間ぐらいにあるが、毎日うつむいた大人と子供がすれ違って行く。
娘が入学してこの光景に気づいた時、とても怖かった。登校中の娘に何かあっても助けてくれる人がいないかもしれないという不安が胸に広がった。
インターネットやスマートフォンのおかげで、私たちの世界はかつてないほど広がり、どこにいても世界中の人と繋がれるようになった。しかし、その一方で目の前にある世界は閉ざされ、孤独を感じる人も増えている。
子供も大人も、下を向き、スマホの中に没頭する姿が日常の光景となってしまった。私たちの生活が便利になる一方で、直接の交流や温かい人間関係が希薄になりがちである。スマホを閉じ、目の前の世界に飛び込んではどうだろうか。それはまた新しい世界かもしれない。
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