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司法書士飯田ブログ

2026年5月6日 水曜日

事業の価値で融資を引き出す。新制度「企業価値担保権」の活用法

2026年5月、資金調達のあり方を変える「企業価値担保権」がスタートする。不動産などの目に見える資産ではなく、会社の「事業そのものの価値」をまとめて担保にできる制度である。経営者保証も原則不要とされており、事業承継の面でも注目されている。

ただ、この制度が始まればすぐに融資が受けやすくなるかというと、現実はそこまで簡単ではない。

これまで多くの金融機関は、「保証協会の保証」や「不動産担保」を前提に融資をしてきた。そのため、「事業そのものを評価する力」は、まだ発展途上にあると言われている。金融庁の資料なども整備されてきているが、現場では試行錯誤が続いているのが実情である。

こうした状況では、企業側からの働きかけが重要になる。ポイントは、「金融機関の中で説明が通りやすい形に整える」ことである。

まず、自社の強みを「銀行員の言葉」で伝えること。担当者は財務には詳しいが、業界の専門家ではない。「技術力がある」といった抽象的な話ではなく、「シェア」「取引実績」「離職率」など、客観的な数字や事実に置き換えて伝える。A4数枚にまとめておくだけでも、評価のされ方は変わる。

次に、資金が必要になる前から関係をつくっておくこと。いざというときに初めて説明しても、すぐに理解してもらうのは難しい。普段から現場を見てもらい、事業の雰囲気を知ってもらうことが、結果的に評価につながる。金融機関は数字だけでなく、現場の様子や社員の雰囲気も見ている。

そして、専門家を「通訳」として使うこと。経営者自身が自社の強みをうまく言語化できないことも多い。そこを第三者が補足することで、会社の安定性や強みが伝わりやすくなる。専門家が関わっているという点自体も、安心材料になることがある。

この制度はあくまで仕組みの一つにすぎない。実際に活かせるかどうかは、企業側の準備と関わり方に大きく左右される。評価されるのを待つのではなく、評価される材料を整えていくことが大切である。

当事務所としても、企業の状況を整理し、金融機関に伝わる形に整える役割を担っていきたいと考えている。

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2026年4月17日 金曜日

不動産の暦年贈与は損かーそれでもやる人がいる理由ー

不動産の暦年贈与は、基本的に損である。
登録免許税もかかる。不動産取得税もかかる。場合によっては贈与税もかかる。現金で贈与すればかからないコストを、あえて払うことになる。

それでも、この方法を選ぶ人がいる。なぜ、わざわざ損をするのか。

結論から言えば、不動産の暦年贈与は「得をするための手続き」ではなく、「損を小さくするための手続き」だからである。ここでいう損とは、税金ではない。将来起こりうるトラブルや制約のことである。

不動産は、持っているだけでは問題にならない。しかし、いざ相続が発生すると、一気に問題が表面化する。

まず、分けられない。現金であれば1000万円を500万円ずつに分ければよいが、不動産はそうはいかない。結果として共有になるが、共有不動産は「誰のものでもあって、誰のものでもない」状態になる。売るにも貸すにも、全員の同意が必要になるからである。

次に、納税資金の問題がある。都心の不動産は評価額が高い一方で、現金収入を生まないケースも多い。相続税は現金で支払う必要があるため、不動産を売却せざるを得ない状況に追い込まれることもある。

さらに、時間の問題もある。親が高齢になると、認知症などにより意思決定が難しくなる。不動産は所有者の判断がなければ動かせないため、売却も活用もできない状態に陥る。成年後見制度に入れば、なおさら機動性は落ちる。

こうした問題は、相続が起きてから対応しようとすると、ほとんど手遅れである。

だからこそ、生前のうちに少しずつ動かしておく。これが暦年贈与の本質である。

例えば、持分を段階的に移しておくことで、誰がどれだけ持つのかを事前に調整できる。特定の子に多く持たせることもできるし、共有状態になるとしても、その割合をコントロールできる。

また、収益不動産であれば、賃料収入の帰属を変えることで所得分散が可能になる。親が高い税率で課税されている場合には、全体の税負担が下がることもある。

さらに、将来値上がりが見込まれる不動産であれば、現在の評価額で移転しておくことで、増加分を次世代に移すことができる。もっとも、この点は市場環境に依存するため、不確実性はある。

このように見ていくと、不動産の暦年贈与は節税のためのテクニックというより、「時間を使ってリスクを分散する手段」と位置付ける方が正確である。

もっとも、デメリットも明確である。何よりもコストが重い。また、毎年の贈与には手続きが伴い、継続的な管理が必要になる。持分を細かく分けすぎれば、将来の意思決定がかえって難しくなる可能性もある。制度変更のリスクも無視できない。

したがって、この方法はすべての人に勧められるものではない。特に、資産の大半が現金である場合や、不動産の評価額がそれほど高くない場合には、無理に採用する必要はない。

一方で、不動産の評価額が高く、相続時の負担や分割の難しさが想定されるケースにおいては、この手法は現実的な選択肢となる。

不動産の暦年贈与は、一見すると「損をする手続き」である。しかし実際には、「将来の大きな損失を避けるために、今、小さなコストを払う」という判断である。

税金だけを見れば不利に見える選択も、全体で見れば合理的であることは少なくない。実務の現場では、そのような意思決定が静かに積み重ねられている。

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2026年3月19日 木曜日

家族とは何か──安心のインフラという視点

家族とは何か、と問われたとき、少し前の自分であれば、うまく答えられなかったと思う。愛情とか絆とか、そういう言葉は思い浮かぶが、どこか現実と噛み合っていない感覚があった。

むしろ、強く残っているのは怒りのほうである。なぜこんなにも分かり合えないのか、なぜ同じ空間にいてこんなに摩擦が生まれるのか。仕事では冷静に処理できることが、家庭ではまるで通用しない。その不合理さに、苛立ちのようなものを感じていた。

司法書士として、これまで多くの家族を見てきた。相続の場面では、長年連絡を取っていなかった親族が現れ、財産を巡って対立する。成年後見では、本人の意思を巡って家族同士が鋭く衝突する。外から見れば「なぜそこまで」と思うような場面でも、当事者にとっては切実であり、譲れない。

当初は、それを「人間関係の問題」や「性格の問題」として捉えていた。しかし、同じような構図が何度も繰り返されるのを見ているうちに、少し違うのではないかと思うようになった。何か、もう少し構造的なものがあるのではないかと。

あるとき、ふと気づいたのは、「安心」という視点である。

人は、自分が不利な扱いを受けるのではないか、排除されるのではないか、正当に評価されないのではないか、そうした不安を抱えたときに強く主張し始める。場合によっては攻撃的になる。それは、相手を打ち負かしたいからというより、自分の立場を守ろうとする反応に近い。

そう考えると、これまで見てきた多くの争いも、単なる利害対立ではなく、「安心の不足」が引き起こしている現象のように見えてくる。家族の中で安心が十分に供給されていないとき、人はその不足を埋めようとして、結果的に奪い合う構造に入る。

ここで少し視点を変えると、家族とは何かが見えてくる。家族とは、愛情の共同体というよりも、「安心を供給するインフラ」としての側面を持っているのではないか。

社会は不確実であり、競争や評価にさらされる場である。その中で、人はどこかに無条件に受け入れられる場所を求める。本来、家族はその役割を担うはずだった。しかし現実には、その家族の内部でも同じように不安が生じ、安心が揺らぐことがある。そのとき、家庭は安らぎの場ではなく、圧力のかかる場へと変わる。

興味深いのは、法律はこの状況に対して一定の整理を与えるが、解決まではしないという点である。相続分の規定や後見制度は、最低限の公平を担保する。しかしそれはあくまで外側からの調整であって、家族の内部に安心を生み出すものではない。むしろ制度が必要になる時点で、すでに何かが崩れているとも言える。

ではどうすればよいのか。この問いに対して、明確な答えを持っているわけではない。ただ、自分の中で変わったことはある。

以前は、相手の言動の正しさや誤りに意識が向いていた。しかし今は、その背後にある不安のほうを見るようになった。そうすると、不思議なもので、あれほど強かった怒りが、少しずつ力を失っていく。完全に消えるわけではないが、少なくとも同じ強さでは持続しない。

家族とは何か。この問いに対する答えは一つではない。ただ少なくとも、うまく機能している家族においては、人は過剰に防御的にも攻撃的にもならない。そして、そうでないとき、その背後には安心の不足がある可能性が高い。

結局のところ、家族をどう定義するかよりも、その中で何が供給されているのかを見るほうが現実に近いのかもしれない。安心があるのか、それとも不足しているのか。その一点だけでも、見え方は大きく変わる。

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2026年3月13日 金曜日

成年後見制度の抜本的見直しと今後の展望

成年後見制度の見直しに関する改正要綱案が発表された。今回の改正要綱案は単なる条文の修正ではなく、制度の考え方そのものを組み替えようとする内容を含んでいる点に特徴がある。

現行制度は、後見・保佐・補助という三つの類型を設け、判断能力の程度に応じてあらかじめ枠組みを振り分ける構造をとっているが、改正案はこの三類型を見直し、「補助」を基本の形として、その中で必要な権限を個別に付ける仕組みに再編する方向を示している。

つまり、これまでのように「能力がどの段階か」で制度を決めるのではなく、「その人にどんな支援が必要か」で内容を決める発想へ転換しようとしているのである。補助開始にあたり、原則として本人の同意を求めるとする点もこの思想を端的に表しており、制度の入口から本人意思を中心に据えようとしている姿勢がうかがえる。

補助人の権限も、必要な行為に限って同意権や代理権を付与する設計とされており、従来のように包括的に権限を与えるのではなく、できる限り限定的に、具体的に決めていく方向が示されている。

もっとも、判断能力を欠く常況にある者については、「特定補助人を付する旨の処分」という形で、より強い保護を可能にする枠組みも用意され、不利益な契約の取消し、郵便物の管理、さらには死亡後の一定の事務についても明文化が図られている。

実務上あいまいであった部分を整理し、保護の実効性を確保しようとする意図が読み取れる。

また、任意後見制度についても、公正証書による契約や変更の明確化、開始時の監督人選任の原則化、開始後の解除要件の整理など、安全性と透明性を高める提案が盛り込まれている。

本人の自己決定を尊重しつつも、濫用を防ぐ仕組みを強めるというバランスをとろうとしていることが伺える。

全体として本改正案は、「守るために制限する制度」から「尊重しながら支える制度」への移行を志向するものであり、成年後見制度を、能力を奪う仕組みではなく、生活を支える法的インフラとして再構築しようとする試みであるといえる。

もっとも、権限を個別に設計するということは、その設計を担う側の責任がより重くなることも意味するのであり、形式的な類型判断ではなく、本人の生活実態や意思を丁寧に把握する力量がこれまで以上に問われることになるだろう。

制度が柔軟になるほど、運用する人間の姿勢が制度の質を左右するという点において、今回の改正は実務家に対する静かな問いかけでもある。

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2026年1月30日 金曜日

司法書士の横領事件から考えること ― 信頼と制度、そして人間の現実 ―

先日、ある司法書士が成年後見業務に関わる横領事件により、懲役7年の実刑判決を受けたことが公表されました。それを受けて、所属会の会長名で声明が発出され、司法書士制度に対する信頼を大きく損ねたことへの深い反省と、再発防止に向けた強い決意が示されました。

この声明は、司法書士会という組織の一員として見ても、また制度を社会から預かる専門職団体として考えても、現在の制度の下で示されるべき姿勢として、極めて妥当であり、正しいものだと受け止めています。社会に対して曖昧な態度を取る余地はなく、強い言葉で遺憾の意を示し、信頼回復に努める意思を明確にすることは、会として当然に求められる責務であると考えます。

その一方で、会として示される「正しさ」と、個人として事件に向き合い考えることとは、必ずしも同じ場所に留まる必要はないのではないかとも感じています。私は司法書士である前に、一人の人間であり、この事件と声明を前にして、制度とは別の次元で考えてしまう自分がいることも否定できません。

司法書士に求められている倫理や責任、人格について、行為規範や倫理規程を改めて読み返してみると、そこに描かれている人物像は、冷静で、公正で、私利私欲から距離を保ち続ける、非常に高い理想像であるように感じます。しかし、司法書士もまた人間です。

人間である以上、迷いや弱さがあり、環境や状況によって判断が揺らぐこともあります。完璧な人格を生涯にわたって維持し続けることは、誰にとっても容易ではありません。倫理観は極めて重要であり、司法書士にとって不可欠な柱であることは間違いありませんが、倫理観だけで人間の行為を完全に制御できると考えることには、現実的な限界もあるように思われます。

不完全な人間に高い倫理を求め続ける社会は、その正しさの裏側で、少しずつ疲弊していく側面もあるのではないでしょうか。SNSなどで日常的に目にする、他人を糾弾し合う光景も、「理想的な人間像」を他者に求めすぎた結果として生じている一面があるように感じられます。そして、その不毛な緊張関係は、いずれ自分自身にも跳ね返ってくるものだと思います。

横領という重大な犯罪についても、「悪い人間がいた」という整理だけで終えてしまえば、同じ問題は形を変えて繰り返される可能性があります。人間は不完全であり、倫理観にも限度がある存在だと認めたうえで考えるならば、「より高い人格」を求めることだけでなく、そもそも横領をしづらい、あるいは横領をしても意味が生じにくい制度をどのように設計するか、という視点も重要になるはずです。実際に、成年後見制度においては、後見制度支援信託や後見制度支援預貯金といった仕組みが整備されてきました。

私はかつて、恩師から「人生は常に過渡期にある」と教えられました。この言葉は、完成や安定が存在しない世界においても、考え続け、問い続けることの意味を示しているように思います。もし人生が常に過渡期であるならば、人間は「正解を作る存在」ではなく、「問いと共に生きる存在」なのかもしれません。

会としては、今後も正しい姿勢を示し続ける必要があります。その一方で、私個人としては、不完全な人間を前提とした社会や制度を、どのように引き受け、支えていくのかを問い続けたいと考えています。その問いから目を逸らさず、考え続けること自体が、ささやかではありますが、専門職として、また一人の人間としての確かな営みであると感じています。

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2026年1月7日 水曜日

不動産登記に詰め込まれる社会 ――増え続ける情報と現場の現実

最近の不動産登記に向き合っていると、「登記で確認する情報が増えた」という感覚を持つことが多くなった。書類の枚数が増えたというより、社会が抱えるさまざまな問題そのものが、少しずつ不動産登記という制度の中に流れ込んできているように感じられる。

所有者不明土地の問題を背景に、登記名義人をより正確に特定する必要性が高まり、検索用情報の申出が始まった。氏名や住所だけでなく、生年月日やメールアドレスといった情報まで含めて管理し、将来的には名寄せや職権による変更登記につなげていこうという考え方は、すでに実務の前提として受け入れられつつある。

しかし、その流れはそれだけにとどまらない。たとえば旧氏の併記である。婚姻により氏が変わることで、過去の登記名義や社会生活上の履歴との連続性が分かりにくくなるという問題がある。選択的夫婦別姓をめぐる議論が続く中で、「同一人物であることをどう示すか」という課題が、不動産登記の場面にも持ち込まれることになった。

また、外国籍の方が登記名義人となる場合には、ローマ字氏名の確認が必要となる。カタカナ表記との違いや、パスポートに記載された氏名との整合性など、実務の現場では細かな確認作業が欠かせず、その一つひとつに注意を払う必要がある。さらに近年は、外国人による不動産取得をめぐる社会的関心の高まりを背景として、国籍の申出や記載を検討する動きも出てきており、登記で扱う情報の幅は今後も広がっていく可能性がある。

こうして並べてみると、これらは本来、それぞれ別の文脈で語られてきた問題である。所有者不明土地の問題、夫婦同姓・別姓をめぐる議論、外国人問題。いずれも日本社会が抱える重要な課題だが、不動産登記の現場では、それらが一つの登記申請の中に同時に現れることになる。

登記名義人を「誰であるか明確にする」という一点に向かって、社会のさまざまな問題が折り重なるように集約され、その結果として、提供される情報の量は確実に増えてきた。確認事項も、依頼者への説明も、入力やチェックの工程も増え、司法書士の負担が大きくなっているのは事実であるし、同時に法務局の審査や管理の負担もまた、確実に増している。

もっとも、これらの制度は、社会課題の解決を目的としている作られている。社会が抱える複雑な課題に対して、登記制度としてどのように向き合うべきか、その試行錯誤の結果が、現在の制度の姿なのだと思う。

不動産登記は、単なる権利関係の記録ではない。その時代が抱える不安や課題を、静かに引き受け、整理し、形にしていくための器でもある。社会の変化に振り回されながらも、最終的にはそれを整合させ、将来に残していく。その役割を、司法書士と法務局は、日々の実務の中で黙々と担っている。

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2025年12月31日 水曜日

静かな循環の中で― 年の終わりに、司法書士としての感謝を胸に ―

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今年も多くのご相談に触れさせていただきました。

相続、登記、後見といった手続の背景には、必ず人の生活があり、人生があります。制度や法律は整っていても、それを使う人の気持ちが追いついていない場面に、何度も立ち会いました。そのたびに、司法書士という仕事は、書類を整える仕事であると同時に、社会と個人の間に立つ仕事なのだと、あらためて感じさせられました。

社会は、ときに冷たく、ときに理不尽に見えることもあります。
それでも、法律や制度が存在し、登記簿があり、手続が積み重ねられてきたからこそ、私たちは安心して生活を続けることができます。今年は、その「見えにくい土台」のありがたさを、例年以上に実感した一年でした。

日々の業務が成り立つのは、依頼者の方だけでなく、法務局をはじめとする関係機関、同業者の方々、そして社会全体が、黙々と自分の役割を果たしているからです。誰かが声高に主張しなくても、社会は静かに回り続けています。その循環の一部として仕事ができていることに、素直に感謝の気持ちを抱いています。

私生活においても、同じことを感じました。
仕事と家庭、役割と個人の間で揺れながらも、日常が崩れずに続いているのは、多くの人の支えや社会の仕組みがあってこそです。今年は「前に進む」よりも、「整える」「立ち止まる」ことを選ぶ場面が多くありましたが、それを許してくれる社会の懐の深さにも、救われてきました。

来年も、社会は変わり続けるでしょう。
制度も環境も、決して安定しているとは言えません。だからこそ私は、急がず、単純化せず、目の前の一つひとつの事案に丁寧に向き合っていきたいと考えています。それが、社会から与えられている役割への、私なりの応答だと思うからです。

一年の終わりにあたり、声高な決意表明はいたしません。
ただ、この社会の中で仕事を続けられたこと、日々を積み重ねられたことに、静かに感謝を申し上げます。

今年も、ありがとうございました。
来年もまた、社会の一隅を支える一人として、誠実に歩んでまいります。

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2025年12月26日 金曜日

対立がなぜ起きるのかをAIに聞いてみた―箱を回して世界を見る―

最近、日本と中国の関係が悪化している、という話を毎日のように報道で聞く。では「なぜ対立が起きるのか」。

そう問いを立てたとき、私はいきなり答えを求めるよりも、まず全体を眺めてみたくなった。

そこで、ChatGPTにこの問いを投げてみた。返ってきたのは、単純な原因論ではなく、少しずつ視点をずらしながら考えていく対話だった。

一つの問題を「箱」だとする。
正面から見る。裏側から見る。
右から、左から、上から、下から。
さらに一度ばらして、もう一度組み立ててみる。
そんな作業に近い。

たとえば、日本と中国の違いを「国民性」という言葉で語ることは簡単だ。
だが、それは本当に本質だろうか。

話を進めていくと、宗教の違いよりも、国土の大きさや歴史的な環境が、人の振る舞いや社会のかたちに強く影響しているのではないか、という視点が浮かび上がってきた。

大陸国家では、多民族・多文化が前提となる。
自分の立ち位置を示すために、自己主張は生きるための技術になる。

一方、日本のような島国では、同質的な集団の中で、強い主張をしなくても社会が回ってきた。
その結果、暗黙の了解や空気を読む力が発達し、細やかな規律や秩序が洗練されていった。

では、その日本は、大陸側からどう見えているのだろうか。
秩序正しく、整っているが、同時に閉じている。
暗黙のルールが多く、外からは入りにくい。

日本人自身が気づかない「見えない壁」が、そこにはあるのかもしれない。

ここで重要なのは、どちらが正しいか、という話ではない。
見ている「面」が違う、というだけのことだ。

ルービックキューブを思い浮かべる。
こちらから見て揃っている面も、反対側から見ればバラバラかもしれない。
一つの面だけを見て、全体を判断することはできない。

さらに話は、多様性という言葉にも及んだ。
グローバル化が進み、自己主張や明示的なルールが求められる時代になった。
その中で、日本が長い時間をかけて育ててきた暗黙の秩序や制度は、時に「古いもの」として語られる。

しかし、もし日本らしさがすべて失われ、世界が同じ形に均されてしまったら、それは本当に多様性なのだろうか。

個人の個性と同じように、国家や社会にも固有の個性がある。
その一つとして「日本人であること」が自分のアイデンティティに含まれているなら、日本という社会の個性が消えることは、自分自身の輪郭が薄れることでもある。

この感覚は、右か左か、保守か革新か、という話とは少し違う。
むしろ「多様性を大切にしたいからこそ、日本らしさも残っていてほしい」という、矛盾を抱えた正直な感覚に近い。

結局、日本と中国の対立も、単なる政治や経済の問題だけでは説明しきれない。
互いがどんな箱を持ち、どの面を見て世界を理解しているのか。
自分が相手をどう見ているかだけでなく、相手から自分がどう見えているか。
その視点を行き来するところに、対立の正体が少しずつ立ち上がってくる。

答えを一つにまとめるよりも、面を回し続けること。
揃えようとして壊し、壊しては組み直すこと。
対立を「解くべき問題」ではなく、「眺め続ける立体」として扱うこと。

もしかすると、その姿勢そのものが、対立と向き合う一つの方法なのかもしれない。

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2025年11月25日 火曜日

土地と安全保障──日本における防衛目的の土地利用をめぐって

最近、日本の土地利用と安全保障に関する議論が増えている。外国人が購入した土地が安全保障上の脅威になるのではないか、という声がある一方で、日本国内にはすでに防衛目的で土地を利用する制度が長く存在していることは、あまり一般には知られていない。

戦前の旧土地収用法は軍事利用のための土地収用を明確に認めており、陸軍や海軍の基地建設のため、多くの民有地が強制収用された。しかし戦後、現行の土地収用法が制定される際には軍事目的の条項が削除され、公共事業に限定された。条文上は防衛のための土地収用は対象外となり、ここで多くの人が「戦後の日本において軍事目的の収用はなくなった」と理解する。

しかし、その後の法解釈や特別法の制定によって、現実には防衛目的で土地が利用される仕組みが存在している。自衛隊基地の整備については、「自衛隊施設は公共の利益に資する」とする政府の解釈により土地収用法の適用が可能とされている。実務上は地主との任意交渉が基本であり、強制収用にまで至るケースは例外的とされるが、それでも制度として可能性が存在する。

米軍基地についてはより直接的で、駐留軍用地特措法に基づき、地主が契約更新を拒否しても、収用委員会による裁決により土地の使用継続が可能となる。沖縄では嘉手納基地やキャンプ・ハンセンなどでこの手続きが繰り返された歴史があり、「一坪反戦地主」のように、土地を細分化し、複数の共有者を設定することで抵抗を示す動きも見られた。

現在の自衛隊基地や米軍基地の多くは、元をたどると戦前の旧日本軍用地であり、戦前に収用された土地が戦後に引き継がれ、現在も防衛関連施設として使用されている例が少なくない。このように日本の土地と防衛利用は、戦前から戦後、そして現代までの連続性の中で捉える必要がある。

外国人による土地所有への懸念は理解できるが、日本国内ではすでに土地が防衛目的で利用される制度的枠組みが存在し、それは長らく運用されている。この点を見落とすと、「外国人土地所有だけが問題である」という誤解につながる。

よくある誤認として、「戦後の日本では軍事目的で土地は使われない」「地主が拒否すれば国は土地を使えない」「土地収用は国家権力の乱用である」といったものがあるが、実際には制度上、一定の条件の下で土地の強制使用や収用が可能であり、それは基地に限らず、道路・河川・鉄道・災害復旧等ほかの公共事業でも行われている。土地は個人の財産であると同時に、公共性と地政学的意味を持つ存在でもあり、所有権は絶対ではなく、公共の利益とのバランスの中で位置づけられている。

土地とは誰のものか。所有にはどこまでの権利があるのか。国家はどの範囲で土地に介入できるべきか。そして国民としてこの現実をどう理解するべきか。

国家の安全と個人の権利は、どちらか一方だけで完結するものではなく、それらは常に互いの存在を必要としている。その接点にこそ、私たちの社会の成熟が問われているのかもしれない。

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2025年11月21日 金曜日

国籍記載を義務化へ ―― 日本の不動産市場と経済安全保障の新しいかたち

東京都心の不動産価格は、長く住んできた人々ですら手が届きにくい水準まで上がっている。背景には、国内の需要だけでは説明できない大きな変化がある。海外からの投資マネーの流入が市場を押し上げ、それが日本人の生活実感とズレを生んでいる。この状況を受けて、政府は不動産登記に所有者の「国籍」を記載する制度の導入を本格的に検討し始めた。単なる事務手続きの変更ではなく、日本の不動産市場と経済安全保障の考え方が大きく転換しつつあることを示している。

■1 登記制度が抱えてきた“見えない所有者”という問題

これまでの登記制度では、所有者として記載されるのは「氏名」と「住所」だけだった。国籍は記載されず、国内に住民票を持つ外国人や、日本法人を通じて購入する外国資本も、日本人と区別がつかない仕組みだ。国交省はこれまで、住所が「外国にあるかどうか」だけを頼りに外国人の取得動向を推計してきた。しかし、これでは実態のごく一部しか見えてこない。

2025年上半期の調査では、新築マンションを取得した人のうち「住所が外国にある人」は3.0%だったとされる。ただし、この数字には日本に住み、普通に会社勤めをしている外国人や、外国資本のペーパーカンパニーが買った物件は含まれない。実際の外国人購入比率は、もっと高いはずだと言われている。

さらに、1年以内の短期転売が8.5%を占めたという結果もある。これは投機目的の資金が流れ込んでいるサインだ。本来「住むための場所」であるはずの住宅が、「短期間で売買して利益を得るための資産」へと変わりつつある。

■2 なぜ今“国籍情報”なのか:経済安全保障の観点

今回の政策の背景には、住宅価格の高騰だけでなく、日本全体の安全保障をどう守るかという、より大きな問題がある。近年、政府は「経済安全保障」という概念を広く捉えるようになった。

従来、重要施設の周辺だけが関心の対象だった。たとえば自衛隊基地や原子力発電所の近くの土地は、外国資本が取得すると安全保障上の懸念があるとされ、調査や規制の対象になってきた。しかし、現代の安全保障はそれだけでは守れないと考えられ始めている。

●都市部の住宅そのものが“国家の基盤”

日本では人口の多くが都市に密集して住んでいる。東京圏はその典型で、住宅を確保すること自体が「生活の安全保障」に直結する。外国資本による大量取得や、投機マネーによる価格高騰が続くと、国民が住む場所を確保できなくなる。それは軍事や外交の話とは別の意味で、「国としての安定性」を脅かすリスクにつながる。

安全保障を「国を守ること」と広く捉えるなら、人が安心して住める家が確保されない状況もまた、国家の弱体化を招くという発想だ。

●国際的には“生活基盤の保護”はすでに常識

世界を見れば、国籍によって不動産取得に制限を設ける国は少なくない。

  • シンガポール:外国人に高額の追加税(最大60%)

  • カナダ:一部地域で外国人の住宅購入自体を禁止

  • オーストラリア:外国人は購入前に政府の審査が必要

これらの制度は、国民の住宅確保を守るという意味で「経済安全保障」の一環として位置付けられている。日本の制度はむしろ異例で、これまでほぼ“完全に自由で、誰でも買える市場”だった。

今回の国籍記載義務化の動きは、日本が世界標準に近づく方向へ舵を切り始めたことを意味する。

■3 制度が変わると市場はどう動くか

法改正が進むまでには時間がある。この「空白期間」に市場では二つの動きが起こる可能性がある。

  1. 制度変更前に駆け込みで買う動き
     匿名性を失いたくない海外マネーが、制度が変わる前に購入を急ぐ可能性がある。

  2. 逆に買い控えが増える動き
     国籍が把握されることをリスクと見る層は、日本市場から一旦距離を置く可能性がある。

中長期的には、国籍データが蓄積されることで政策対応がしやすくなる。特定国の資金が特定地域に集中している場合は、そのエリアで追加課税を行う、といった選択肢も理論上は可能になる。

■4 “開放”と“防衛”のバランスをどう取るか

日本にとって難しい問題は、海外からの投資を拒むべきではない一方で、国内の人の生活を守る必要もあるという点だ。海外マネーが都市に流れることは、開発や経済成長の面ではプラスに働く。しかし、過度に集中すれば住宅価格を押し上げ、国民生活を圧迫することになる。

今回の政策検討は、こうした二つの価値の調整をどのように図るかという、深いテーマを含んでいる。

透明性を高めつつ、必要以上に外国人を排除しない。その中間点をどう探るかが、これからの日本の不動産政策の課題となるだろう。

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