2025年12月26日 金曜日
対立がなぜ起きるのかをAIに聞いてみた―箱を回して世界を見る―
最近、日本と中国の関係が悪化している、という話を毎日のように報道で聞く。では「なぜ対立が起きるのか」。
そう問いを立てたとき、私はいきなり答えを求めるよりも、まず全体を眺めてみたくなった。
そこで、ChatGPTにこの問いを投げてみた。返ってきたのは、単純な原因論ではなく、少しずつ視点をずらしながら考えていく対話だった。
一つの問題を「箱」だとする。
正面から見る。裏側から見る。
右から、左から、上から、下から。
さらに一度ばらして、もう一度組み立ててみる。
そんな作業に近い。
たとえば、日本と中国の違いを「国民性」という言葉で語ることは簡単だ。
だが、それは本当に本質だろうか。
話を進めていくと、宗教の違いよりも、国土の大きさや歴史的な環境が、人の振る舞いや社会のかたちに強く影響しているのではないか、という視点が浮かび上がってきた。
大陸国家では、多民族・多文化が前提となる。
自分の立ち位置を示すために、自己主張は生きるための技術になる。
一方、日本のような島国では、同質的な集団の中で、強い主張をしなくても社会が回ってきた。
その結果、暗黙の了解や空気を読む力が発達し、細やかな規律や秩序が洗練されていった。
では、その日本は、大陸側からどう見えているのだろうか。
秩序正しく、整っているが、同時に閉じている。
暗黙のルールが多く、外からは入りにくい。
日本人自身が気づかない「見えない壁」が、そこにはあるのかもしれない。
ここで重要なのは、どちらが正しいか、という話ではない。
見ている「面」が違う、というだけのことだ。
ルービックキューブを思い浮かべる。
こちらから見て揃っている面も、反対側から見ればバラバラかもしれない。
一つの面だけを見て、全体を判断することはできない。
さらに話は、多様性という言葉にも及んだ。
グローバル化が進み、自己主張や明示的なルールが求められる時代になった。
その中で、日本が長い時間をかけて育ててきた暗黙の秩序や制度は、時に「古いもの」として語られる。
しかし、もし日本らしさがすべて失われ、世界が同じ形に均されてしまったら、それは本当に多様性なのだろうか。
個人の個性と同じように、国家や社会にも固有の個性がある。
その一つとして「日本人であること」が自分のアイデンティティに含まれているなら、日本という社会の個性が消えることは、自分自身の輪郭が薄れることでもある。
この感覚は、右か左か、保守か革新か、という話とは少し違う。
むしろ「多様性を大切にしたいからこそ、日本らしさも残っていてほしい」という、矛盾を抱えた正直な感覚に近い。
結局、日本と中国の対立も、単なる政治や経済の問題だけでは説明しきれない。
互いがどんな箱を持ち、どの面を見て世界を理解しているのか。
自分が相手をどう見ているかだけでなく、相手から自分がどう見えているか。
その視点を行き来するところに、対立の正体が少しずつ立ち上がってくる。
答えを一つにまとめるよりも、面を回し続けること。
揃えようとして壊し、壊しては組み直すこと。
対立を「解くべき問題」ではなく、「眺め続ける立体」として扱うこと。
もしかすると、その姿勢そのものが、対立と向き合う一つの方法なのかもしれない。

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